Tマーク TigerKAZのサッカーワールドカップ2002年日韓大会の観戦記

2002年1月、家に帰ると、TigerKAZの名前がローマ字でタイプ打ちしてある封書が届いていた。いかがわしいダイレクトメールかと思い、封を開けずに捨てようかと思ったが、外国からの郵便が家に来るなんてことは珍しいし、よく見ると封筒にはFIFAのクレジットが...もしかして、W杯のチケットがあたった?まさか...でも1試合でも当たっていたらいいな...そんな淡い期待を抱き、封を開けると...なんと1試合どころか、日本のチーム指定チケットが7枚も当たっていた!つまり、日本のグループリーグ3試合と決勝Tの4試合(ベスト16、ベスト8、ベスト4、決勝)が全部見れるのだ。日本が途中で負けても、負けた相手の次の試合が見れる。宝くじでは末等しか当たったことがないのに、何という幸運。まさに一生分の幸運を手にして、生まれて初めて神に心から感謝した。

結果的には、準々決勝のトルコ対セネガル戦と決勝のブラジル対ドイツ戦は友人などにチケットを譲り、他の日本戦4試合と準決勝のブラジル対トルコ戦の5試合を観戦した。以下は、グループマッチ初戦のベルギー戦と決勝Tのトルコ戦について、当時、試合後に書いた観戦記である。

2002年6月4日(火) 日本対ベルギー(2-2) @さいたまスタジアム

      

夜中の3時に起きて、イタリア対西ドイツのテレビ中継にかじりついていた。1982年スペイン大会決勝。これがW杯の最初の記憶。この大会で、21才のマラドーナは度重なるファールに腹を立て、相手選手の腹をスパイクで蹴りつけ退場となった。あれから20年...マラドーナは薬物中毒のリハビリを続け...日本の司令塔は木村和司からラモスへ、そして中田英寿へと変わった。

試合前、スタジアムに到着するまでに、いろんなメイクのサポーターを見た。奇抜なメイクもたくさんあった中、一番気にいったのは、身長150cmくらいの風船型のドラえもん人形だった。ドラえもんは、顔の真ん中を赤のマジックで丸く塗りつぶしていたが(日の丸)、持ち運んでいたお父さんと男の子も顔の真ん中が日の丸になっていてかわいかった。二人で一生懸命運んでいたあのドラえもんはセキュリティチェックを無事に通過できただろうか?セキュリティチェックのゲートが狭かったので、通れなかったのではないか?茶目っ気のない係員が入場を禁止したのではないか?と心配だった。

気温30℃、夕立が来そうな湿気の中、1時間くらい並んでようやくセキュリティを通過。席は2階席だった。試合開始前から、周りのお客さんと仲良くなり、チケットの入手方法の話などで盛り上がっていた。私の周りは、前が子供2人とお父さんの家族連れ。後ろが20代前半の会社員グループ。左が私と同じように1人で観戦していた同年代の男性、右が愛人カップル(想像)。右隣のカップルはあんまりサッカーには詳しくなく、私がスタメンを全員言い当てたことに驚いていた。...練習のときに、ビブスを付けている選手がスタメンなんだけど...

試合開始から主導権はなんとなくベルギーが握っていた。予想通りベルギーの高さに圧迫感を感じた。ところで、2階席から試合を見ていると、視力1.0では選手を判別しづらい。一番の決め手となるのは髪の色。赤に染めた戸田はすぐわかる。間違えようがない。しかし、金髪組はわかりづらい。中田英はすぐにわかる。上半身の姿勢がいいのはヒデだ。彼の金髪は白に近く、他の選手とはちょっと違ったりもする。森岡もわかる。センターバックだから、前に出てこない。しかし、他の金髪選手はわかりづらい!髪に背番号をメッシュしてほしい!

後半12分ウィルモッツのオーバーヘッドで失点。直後の後半14分、鈴木の気迫がゴールネットを揺らしたとき、大声で彼の名前を何度も叫んだ。ここから、日本代表は変わった。個々の選手が自己主張を始めたのだ。柳沢が何度かドリブルで中央を突破しようとしたが、あれだけ攻撃的な柳沢を見たのは彼が高校選手権で得点王になったとき以来だった。

そして、試合の流れが速くなった後半22分。信じられないことが起きる。前線の選手がサイドからのパスを受けると、トラップでDF2人をかわし、そのまま左足を振りぬいた。おーっ!一瞬、どよめきが会場を動かし、スタジアムが巨大な船のように心地よく揺れた。2-1。日本、逆転!逆転だあ!次の瞬間、6万人が総立ちとなり、みんなで抱き合った。私は両拳を空に突き上げ叫んだ!「すずきぃ!すずきぃ!」。そして、得点した選手がガッツポーズをしながら、こっちに向かって走ってきた。「おーっ!すずき!すずき!2点も取るなんてすげえぞ!...あれ?なんだ?...あれ、稲本じゃねえかよぉ!」

...く~っ!なんてこった!こんなときに、得点した選手を間違えるなんて...後半22分、私はそれまでのすべての尊敬を失い、失意のままW杯初戦を戦い終えた。あ~あ、恥ずかしかった...

2002年6月9日(日) 日本対ロシア(1-0) @横浜国際総合競技場

      

2002年6月14日(金) 日本対チュニジア(2-0) @長居スタジアム

      

2002年6月18日(火) 日本対トルコ(0-1) @宮城スタジアム

      

この試合、日本がなぜ負けたかではなく、なぜトルコは勝てたのだろうか?トルコは日本のサイド攻撃を警戒して、3バックではなく4バックにして、両サイドのスペースを埋めた。そして、攻撃はバストゥルクを軸に、ハサンサシュとハカンシュクルの3人だけで攻めた。他に攻撃に人をかけない。「7人で守り、3人で攻める」。それはいつも強豪を相手に戦うヨーロッパの中堅国の知恵ではないかと思った。それは見ていてつまらないサッカーだ。しかし、トーナメントを勝ち抜くにはこの戦術しかないときがある。攻撃はうまくいけば、1点取れる。悪くても、0-0のPKに持ち込める。

元祖カテナチオのイタリアは韓国戦ではDFの連携が乱れて、左右に振られていたが、日本戦のトルコの守備は完璧だったと思う。日本の選手が中央からハーフウエイラインを越えると2~3人が取り囲み、サイドの選手にボールが出ると、ペナルティエリアに5~6人が戻り、日本のクロスを全部はじき返していた。これこそカテナチオだ。だから、あの試合は、誰が先発していても、どのような選手交替であっても、セットプレー以外で日本は得点をあげることはできなかったと思う。たとえ日本にオーウェンがいても、ラウルがいても無理だったと思うし、リバウドやロナウドだって難しかったと思う。

また、精神的にどんなにアグレッシブであっても、同じようにダメだったと思う。そういう問題ではなく、あの日は失点してはいけない試合。0-0でPK戦に持ち込む戦略に打って出て、うまくいけば1-0で勝つ、そういう試合だった。日本はこういう試合運びができない。それは、フランスやイタリアやドイツやイングランドに勝たないと、ワールドカップに出られないという場面を経験してきたトルコとの違いではないか。日本には強い国との真剣勝負の経験が足りない。結果、トルコはコーナーキックからゴールを決め、日本はアレックスのフリーキックがポストに弾かれた。この差がこの試合のすべてだったように思う。

いい映画を見た後、余韻を壊したくなくて、街中をずっと歩き回ることがある。トルコ戦の後、私はそういう気分だった。試合の感想を人に言いたくなかったし、人から聞きたくなかった。帰りのシャトルバスでは、予想通り、トルシエの選手起用について、あちこちから批判の声が聞こえた。東京に戻ってからも、電車の中でサラリーマンがいろんなことを言っていた。しかし、私は根本的な敗因は日本の経験不足だと考えていた。それは日本と韓国との差でもある。フランス大会で日本が味わったような悔しさを彼らは5回も、44年間も味わってきたのだ。

スタジアムの青の集団はシャトルバスに流れ込み、地下鉄に乗り、新幹線に乗り、東京からさらに1つ2つと電車を乗り継いでいく。そのたびに、青の数が減っていき、サラリーマンやOLに飲み込まれていく。そして、自分の駅に着く頃には、ユニホーム仲間は2~3人となる。そのとき、祭りの舞台から自分が降りて、日常生活に戻っていく寂しさを感じた。

それにしても、宮城スタジアムは場所が悪い。仙台駅から地下鉄に乗り終点で降りて、そこからバス乗り場まで土砂降りの中20分くらい歩いた。そこからさらにバスで30分!もう少し立地条件なんとかならんのか。